下水道用マンホール蓋の歴史

1.マンホール蓋の材質・構造の変化

■ 普通鋳鉄と平受け変化

日本の下水道用マンホール蓋の材質は、明治の初期のものは木製の格子ふただったとの話もありますが、鋳鉄製のものは明治17~18年の神田下水(東京)の”鋳鉄製格子形”が最初だと言われております。

現在のような丸形のものは、明治末期から大正にかけて、西欧(主にイギリス)を参考にして製造されたと考えられています。

当時は、材質的には普通鋳鉄(FC)製で、構造的には「平受け構造」と呼ばれるタイプでした。

これは、蓋にかかる荷重を、受枠の平面で受ける形になっているため、その様に呼ばれています。蓋と受枠の隙間があるので、ふたが前後に動いたり、回転したりするため、摩擦による摩耗でがたつきも大きくなります。昭和30年代後半から、車両の増加、大型化にともなって、次第に問題になってきました。また、蓋・枠ともに80kgを超す、非常に重い鉄ふたでした。

■ ダクタイル鋳鉄と急勾配受け構造

メーカーでは、当時水道管に球状黒鉛鋳鉄(一般にダクタイル鋳鉄(FCD)と呼ばれる)が使用されだしたことから、強度が強くて割れないこの材質を使ってのマンホール蓋の開発が行なわれました。水道管に使われるダクタイル鋳鉄だと、伸びが大きいため、蓋に変形を生じることなどから、蓋の変形を防止するとともに耐摩耗性や、耐腐食の強度を増す合金ダクタイル鋳鉄(鉄蓋専用材質)が昭和40年に開発されました。

この材質を利用し、がたつきを防止する「急勾配受け」構造が開発され、がたつきや、破損クレームはなくなりました。
「急勾配受け」は、蓋を大きさ、用途に応じて6~10度の急勾配に機械加工し、同様の急勾配加工を施した受枠にくい込ませて蓋と受枠が一体となる構造で、しかも開放には、テコの原理を使った専用バールキー(開閉器具)を使用して、容易に行なえます。ふた重量40kgと、枠重量40kgと、平受け構造製品の半分の重さで強度は逆に大きくアップしています。

2.マンホール蓋の模様、デザインの変化

■ 日本のマンホール蓋の考案者

日本で初めての下水道は、明治14年の横浜居留地で、神奈川県御用掛(技師)の三田 善太郎氏がこの下水道の設計を行ない、その時に「マンホール」を「人孔」と翻訳したのではないかと言われています。
蓋については、現在のようなものでなく、掃除孔としての格子蓋だったのではないかと推測されています。

現在の蓋の原形は、明治から大正にかけて、東大で教鞭をとると同時に、内務省の技師として、全国の上下水道を指導していた中島 鋭治氏が、東京市の下水道を設計するときに西欧のマンホールを参考に考案したようです。この当時の模様が、東京型と呼ばれ、中島門下生が全国に散るとともに広まってゆき、その後昭和33年にマンホール蓋のJIS規格(JIS A 5506)が制定された時に、この模様がJIS模様になったようです。

一方、名古屋市の創設下水道の専任技師だった茂庭 忠次郎氏は、その後内務省土木局に入り、全国の上下水道技術を指導した折に、名古屋型を推めたため、名古屋型模様のものも全国的に広まっていきました。

■ 市型模様、メーカー模様からデザイン蓋へ

昭和30年代に入って、大阪市や神戸市などは、独自の市型模様を定めて使用してきました。同じ頃、材質、構造などの開発に当った製造メーカーを中心に、独自の模様を考案し広めていったために、国内にJIS模様と市型模様、メーカー模様が混在して、昭和50年代の20年間使用されてきました。

昭和60年代になり、当時の建設省公共下水道課建設専門官が、下水道事業のイメージアップと市民アピールのために、各市町村が独自のオリジナルデザインマンホールにすることを提唱したことから、デザイン化が進み始めました。
昭和61年に『下水道マンホール蓋デザイン20選』が選出され、翌62年には「マンホールの表情」、平成元年に『路上の紋章』、平成5年に『グラウンドマンホールデザイン250選』が、いずれも建設省下水道部監修で発刊(水道産業新聞社)されたことなどもあって、全国事業体が競い合ってデザイン化を進めるようになりました。

 

■ マンホールデザインの現状と問題点

全国市町村におけるデザイン化は、一層拍車がかかり1つの事業体の中で、雨水と汚水でデザインを変えたり、車道と歩道で変えたりするところまで現れて、メーカー側も型のデザイン、製作費、型の保管費など対応に追われながらも、製造方法の工夫などで要望に応えてきました。
デザインの決定の仕方には①一般の公募によるもの ②役所(職員)が考えるもの ③メーカーの案によるもの ④それらの折衷によるものなどがあります。
平成9年12月には、全国1546市町村から建設省に寄せられたマンホールデザインの写真集『日本のマンホール写真集』(水道産業新聞社)が同じく建設省下水道部の監修で出版されました。

そのデザインのテーマを分類したものが表の種類です。
やはり、植物、動物が圧倒的です。

マンホール蓋は、安全性が基礎にあって、その上でデザインされるべきでありますが、デザインのみが先行し、スリップ対策など、重要なポイントが忘れられているものも見受けられます。特に近年は、市民へのアピールということで、有名なデザイナーに依頼されたデザインマンホールも増えてきています。確かに芸術的で視覚的には素晴らしいが、スリップなどを考えると、線の強弱など技術的な面で修正した方が安全な場合があります。

これからのマンホールデザインに要求されている点をまとめてみると次のことが言えます。

1.飽きがこない
モチーフを生かした幾何学的模様など、長期間の使用に耐えるデザインであること。

2.非方向性
一方向だけから見た場合に、意味のわかるデザインでなく、極力方向性のないデザインがのぞましい。

3.耐 久 性
長期間の間に模様が磨滅されるが、磨滅による味わいがでるようなデザイン。

4.素 材 感
鋳物の重量感、暖かさを感じるデザイン。

5.地域個性
単純発想でなく、表現工夫がなされたデザイン。

6.スリップ防止
道路と同等の走行性を持たせ、安全性を配慮したデザイン。

3.トータルシステムの要求に応えて

■日本グラウンド マンホール工業会の役割

平成3年6月に、マンホール鉄蓋のメーカー団体として「日本グラウンド マンホール工業会」が設立されました。工業会のキャッチフレーズ”見える下水道””路上の橋”のもとに、鉄蓋の名称をグラウンドマンホールに変えるなどイメージアップをはかるとともに、材質面、強度面について規格の統一を行い、”路上の橋”は道路の一部として要求される技術的な確立をはかってきました。

この工業会規格(JGMA規格)をもとに、平成9年に日本下水道協会規格(JSWAS G-4)が制定されました。

下水道用マンホール蓋の技術的変遷を見ますと、業界が先行して開発を行い、その実証のもとに、JISをはじめ公的規格が制定されてきております。その意味ではグラウンドマンホールは、業界の規格(標準)が事実上の標準として開発され、運用されてきた製品と言えるのではないでしょうか。

■トータルシステムと安全性の追求

 「下水道用マンホールふた安全対策の経緯」でも述べた様に、平成10年の高知市での豪雨によるマンホール蓋飛散による死亡事故から、安全性が急にクローズアップされてきましたが、グラウンドマンホール工業会では、早くからマンホール蓋に関連する事故や危険性に着目し、対応をはかってきていました。

中でも、マンホール蓋を単体でとらえず、求められる機能に応じたオプション類を整備し、特に基礎部分の重要性に着目し、無収縮グラウト材による基礎施工方法を提唱し、これが安全性に大きく関与しています。